Social Welfare Corporation KUJIRA

  • ことばの種(STさんのつぶやき)

先逹はあらまほしきことなり

今、世間は空前の編み物ブームだとか。

私も、縁あって指導してくださる方がいて、かぎ針編みに挑戦してみました。

小さい頃から、編み物には憧れがあって、本などを見て、何度か取り組んだことはあるのですが、「何か」を編み上げられたことは、1度もありません…

さて、今回、私が一生懸命毛糸と格闘する様子を観察して、「先生」は、問題点に気づいてくれました。

…というのが、私、常々思っていたんです。

「編み目をギュッときつく締めすぎてもいけない、

 ゆるすぎてもダメ💦

 どうしていいやら、わからない!」

ちょうどいい具合にできない原因が、左手の人差し指(毛糸を捕まえて、針にひっかけようと動き回っていました)にあると気づいた先生は、その本来の役割を、ミシンの部品「てんびん」に例えて教えてくださいました。

曰く、「軽く引っ張るようにして、毛糸の張りを一定に保つ」だけ。

なるほど、言われた通りにすると、そんなに意識しなくても、ちょうどいい具合の編み目にととのいます。

この「先生」、実は、手仕事の上手な同僚で、専門の講師の方というわけではありません。

一緒にお仕事をしたり、お話したりする中で、「きっと左手が妙な動きをするに違いない」と予測して、どう説明しようかと、ワクワクしていたのだそうです(笑)

(私、ハサミを持つ時に、右手の人差し指が行き場をなくしてピーンと立っていたりします。そういう、手指の先の不器用さに気づいていたのしょうね。)

それから、会話の端々から、やって見せるより、ことばで説明した方が伝わりそう。

日常の手仕事や家事の経験より、学校で学習した内容の方がピンときそう。

ミシンや時計の等、機械の動きや仕組みに興味をもって、観察した経験がありそう。

…等々、私が具体的にイメージしやすい説明の方法を考えてくださったのです。

おかげで、人生初、毛糸で小さなポーチを編み上げることができました✨

本当に、「少しのことにも、先逹はあらまほしきことなり。」吉田兼好『徒然草』「第52段 仁和寺にある法師」より

(ちょっとしたことでも、その道に通じた指導者があってほしいものだ。)

さて、これは、私にとって、苦手を克服した成功体験であるとともに、他者を支援する際の姿勢について考えるきっかけにもなりました。

何かを教えるためには、その内容そのものにも精通している必要がありますが、それだけでは十分ではありません。

何に困っているのかな?

何がわからないのかな?

どんな伝え方が、わかりやすいかな?

この人(子)の持っている知識や経験で、活かせるものはないかな?

丁寧に観察し、その困り事や、興味・関心に寄り添うことが大切です。

また、多種多様な「1人1人」に合った対応をするためには、指導者自身も、幅広い知識や経験、興味を持ち続ける必要があります。

加えて、私の「できない」を、「なんでできないの?もうっ!」と怒るのではなく、「ワクワクして」見守ってくださった、余裕のある様子も、気持ちを軽くしてくださり、楽しく学ぶことのできた要因の1つだったと感じます。

子ども達を支援する立場である、自分自身を振り返った時、伝えたい内容のみに囚われず、その子自身の思いや興味、生活経験に寄り添って支援することができているでしょうか?

うまく伝わらない時、それは本当に子どものせいでしょうか?

私が、その子に合った伝え方を持っていないだけではないでしょうか?

安心して取り組める雰囲気を作れているでしょうか?

今1度、己を振り返り、考える機会となった出来事でした。

…余談ですが、出来上がったポーチ、うれしくて我が子に見せると、ムフフっと笑ってノーコメントでした。 (いつもは、なんでも「お母さん、すごーい♥️」とほめてくれる我が子です…)

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